東義孝+梅津庸一 不条理な寓話、再活性


梅津庸一様、artgallery opaltimesオーナー 内田ユッキ様のご尽力により、弟・義孝の作品を展示させていただけることになりました。


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東義孝+梅津庸一 不条理な寓話、再活性

会期|2026年3月14日(土)―4月12日(日)

火水休廊日

時間|月木金 13時-17時 土日祝 13時-19時

artgallery opaltimes

大阪市住之江区粉浜1-12-1

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グラフィックデザイン:中村陽道 (@speedykaisok02)


本展について


僕が東義孝を知ったのは2005年。当時美大生だった僕は先行きが不透明だったこともあり、東が盟友の榎本耕一らと共に果敢にアートワールドに挑んでいく姿を羨ましく思っていた。東京で開催された展覧会や雑誌『SPROUT』は欠かさずチェックしていた。ちなみにその頃はまだSNSは普及していなかったため、僕にとって当時のアート界は伏魔殿そのものだった。

東作品は絵画やドローイングが中心だがシュルレアリスムをはじめとする美術史上の動向に直接的に依拠しているわけではない。それよりも岡崎京子の漫画『ヘルタースケルター』に登場するトラ、スプラッター映画のような不穏なシチュエーション、そして1960年代のサイケデリック・ムーブメントなどとの親和性が高いと言える。東作品に登場するモチーフは人物も動物も昆虫も植物も装飾や幾何学も全てが等価であり、画中で進行している不吉で不条理な物語を読み解くのは困難である。また、キャンバス作品であってもペンや染料系インクを多用している点も特徴的で、関西シーンにおいてゼロ年代に台頭した児玉画廊系の作家たち伊藤存、青木陵子、金氏徹平らとの連続性も指摘できなくもないが、ひとまずは別系統として考えた方が混乱は少ないかもしれない。ただ、森千裕作品とは共通するところが少なからずあるように思う。


昨年、東が生前過ごした大阪の高槻市にあるアトリエを訪問する機会があった。静かな住宅街の中に佇む秘密基地のようなアトリエで、ここで東作品が生まれたのかと感慨深く思った。本棚のラインナップにはGottfried Helnwein、Amy Cutle、Marcel Dzamaなどの画集や「VITAMIN P」など僕とかぶる蔵書がいくつもあった。東は僕よりも少し上の世代だが文化的素地には近しいところがあって、それゆえに東作品を自然と受け入れられたように思う。

僕は幾度となく東の作品を観てきたが、実は本人とは一度も会ったことがない。けれども作品を介した対話は可能なはずだ。当然、誤読も含まれるだろうが。 


本展はそんな東義孝との2人展である。昨年、どういうわけか僕は「大阪のゆかり作家とは何か?」と自問自答していた。そしてその結論のひとつがここオパールタイムスで東義孝さんとの2人展を開催するというアイデアだった。大阪の粉浜にあるオパールタイムスは内田ユッキさんがディレクターを務め、大阪という地域性に規定されず同時代のアートやカルチャーを精力的に紹介しているギャラリーである。関東で言えばmograg galleryやgallery TOWEDのテイストに近いかもしれない。


正直、東義孝作品を地元大阪であらためて紹介する展覧会が僕との2人展で大丈夫なのかと躊躇する気持ちもある。研究者やキュレーターがもっと地道に調査をしてから回顧展を開くべきなのではないかと。しかし、一方で標本のように固定化されていない今だからこそできる展覧会もあるはずだ。本展には東の2005年から2007年の初期作を選定した。美術のタイムラインで考えれば20年前は近過去と言えるが、ゼロ年代初頭の想像力の質は現在のわたしたちからするとニュアンスが汲み取りにくいかもしれない。東作品は美術の外部からの影響が強いものの当時、ライトノベルやアニメの分野で流行した「セカイ系」の想像力とは根本的に異なり、観客の共感や感情移入を拒み付け入る隙を与えない。


本展が世界中のアートフェアで紹介されてきた東作品を今一度ゆっくり味わう機会となるよう願っている。とはいえ、予定調和の展示になっては意味がない。自作からは東作品と共振、あるいは反発し合うものを恣意的に選ぶつもりだ。

 

サイケデリックな蝶は今も健在である。 


梅津庸一(美術家、パープルーム主宰)

Yoshitaka Azuma

京都造形芸術大学卒業。無地の背景に浮き上がるように、女性、幾何学模様、想像上の風景、骸骨などのモチーフをサイケデリックに描いた絵画を制作。(ART iT様の紹介文よりお借りしました。)

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